« 2012年6月 | トップページ | 2012年11月 »

2012年10月

「巣箱」 対中いづみ

第二句集です。

第一句集「冬菫」は先師田中裕明が選した「さきほどの冬菫まで戻らむかから名づけたものでありこの句集は先師との思い出の作品です

師を亡くした後は、その俳人の器を試されているような気がします。

同じく同じ師を亡くした島田刀根夫氏の第三句集「青春」のあとがきで「品についての意見、助言を受けたりすることができない仕儀が、私にとって限りなく悲しく淋」と書かれております。

俳句は、作り手と読み手がいて成り立つもの。

読む人がいなければ、わざわざ有期定型に拘らなく、自分が思うことをそのまま言葉にすれば良いだけだと思います。

読み手がいるからこそ、同じ空間を得るために、季語を用いて、十七文字という一番短い詩にすることができるのかと思います。

一生にどれだけの俳人と出会い、どれだけの句を作ることができるのか。

十七文字にする無駄な作業を、僕らは魅了され、楽しんでいる。

この楽しさを忘れない限り、先師がいないとしても、ずっと俳句と一緒にいられるような気がします。

まつすぐに山の雨くる桐の花

みづうみの一すぢ光る浮巣かな

芹薺二日つづきの雪となり

ひらくたび翼涼しくなりにけり

口に入る風のつめたき穭かな

ふくろうの腹ふんはりと脚の上

月読の光をとほる諸子かな

傘させば鳩の飛びたつ桜かな

蛸壺の縄濡れてゐる涅槃かな

滝道の木漏れ日を踏むばかりなり

狐火や文体いまも変はらざる

つめたくて白魚ばかり明るくて

ものの芽や記憶の層といふところ

朝顔に雨粒の痕ありにけり

かたがはに雨の流るる蓼の花

葛の花ここは小舟を出すところ

懸大根忌日近しと思ひけり

けふ寒く昨日あたたか鳥の恋

雨ながら鳥とんでゐる夏書かな

ワタクシハ猫派デ鷹派秋の風

寛と座れば秋の湯呑かな

この道は虻とほる道秋蝶も

伸びてゐるより折れてゐる葱ばかり

電柱をくるくる廻る鳥の恋

さむさうなあたたかさうな巣箱かな

にはとりのふりむくまでの朧かな

パンよりもお米の好きな雀の子

若狭また水の国なり苗余す

裕次郎の写真大事に滝見茶屋

ぽつぽつと夏薊あり標あり

見てをれば星見えてゐる大暑かな

川蝦のうしろ歩きや盆の家

ローマ字と漢字の海図雁渡し

月上りきつたる海の暗きこと

ここ通るたび気味悪く秋の昼

大雪に埋もれむ人の世も毬も

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2012年6月 | トップページ | 2012年11月 »