可哀想な句
7月18日毎日新聞「季節のたより」より
<おっぱいが焼きそば運ぶ夏の家>
掲載句は、坪内稔典さんが寸評込みで選考しております。
彼自身が面白い句を作られ、また掲載句もいろいろあって、毎日楽しみにしておりますが、これは頂けません。
始めて読んだとき、上五がインパクトが強くて良いなあと思うかもしれませんが、ただそれだけで並句です。
どうしてかというと、この句を2回、3回と読んで頂ければ分かりますが、何も印象が残りません。
例えば、去年話題となった邦画「おっぱいバレー」、題名及び主演が話題を呼び、人気がでました。
でもそれまでで、今頃になって「おっぱいバレー」と言われても、全然インパクトもなく、すでに過去のものです。
俳句(他作品そのもの)は、読み手がいつ、どのように読まれるのか分かりません。
名句、秀句と言われるものは何度読み返されても、飽きもなく、読み手を捉えて、引き継がれていきます。
「芝不器男新人俳句賞」や「新撰21」など、若手がもてはやされる時代です。
確かに期待できる俳人もいますが、本当に今後の俳句???というものもあります。
坪内先生も、俳句界の中で功績が高い人です。
掲載句は一生文面に残ります。
今後に残しておきたい句と考えれば、ただインパクトがある句は違うかとも思います。
最近の俳句といえば、韻文であれば何でも良いという気がします。
そうなると、川柳やxx詩と変わりません。
そして、いつかは俳句自体がなくなることも考えられます。
俳句を残していくためには、読み手としてもしっかりした意思表示をしていかなくてはなりません。
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コメント
可哀想だとは思いませんが、品はいかがでしょうか?
投稿: ひつじ | 2010年7月22日 (木) 18時17分
ひつじさま
コメント有難う御座います。
可哀想と思ったのは、この句がずっと残ってしまったことです。
今は良いとしても、5年、10年経ったときに、この句を自分の句として読めるかどうか・・・
作るほうもそうですけど、読み手も考えものです。
「品」と言う言葉のほうがよろしいかも・・・
有難く頂戴します。
投稿: 楚良 | 2010年7月23日 (金) 00時19分
こんばんわ。私は「夏の家」に少し引っかかったのですが。夏座敷を想像すると、「夏の家」より範囲が狭くなってしまうし・・・。うーむ。
投稿: 海音 | 2010年8月 6日 (金) 22時27分
う~ん。
こういう句は衝撃的ではありますが・・・。
「夏の家」もただ「海の家」のもじりのような。
この季語も活きていないような気がする。
次世代の若者がもてはやされる昨今ですが、私も含めてどれだけ時代に残る俳句を創れるか時間の経過とともにとわれかねません。
いい俳句をお互い創るようがんばりましょう。
投稿: とよチャンネル | 2010年8月17日 (火) 14時47分
海音さま
コメントの返信ができなくてごめんなさい。
稔典さんは砂浜に建つ「夏の家」を想像したようです。
おっぱいはそこで働くアルバイト。
そこまで想像してようやく、この句の意味が分かるのであって、はやり凡句だと思います。
また、確かに季語は不明確。。。
投稿: 楚良 | 2010年8月17日 (火) 23時24分
友行さま
俳句の定義がなくなる昨今、毎日川柳に「川柳が自由に詠めるいいもんだ」がありました。すごい良いこと言っているなぁと思いました。
俳句には『しばり』が必要だと思います。また何のために詠むのかを考えなくてはならないと思います。
投稿: 楚良 | 2010年8月17日 (火) 23時32分