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省く・・・中原道夫

<白魚のさかなたること略しけり>

彼の句をを認めるか認めないかはこの句につきると思います。
実際には省くことが出来ない成長過程を、彼は省くことが出来ると悟りました。
本の中でも書かれていることですが、この心境は俳句人生の賭けであります。
師匠能村登四郎も、この句には相当迷ったに違いないありません。

<瀧壺に瀧活けてある眺めかな>

この句についても、実際に有り得ない、彼自身の想像であります。
俳句と言うものは、作者の感性が大切です。
しかし、それを読み手が共感(納得)しないと意味がありません。
読み手が万人もいれば、いろんな感性、価値観があります。
万人に好まれる句は、果たしてどれくらいあるのでしょうか?

例えば、金子兜太先生の有名な句
<梅咲いて庭中に青鮫が来ている>
もちろん空想の世界であり、この句を良い句とする人がいます。

でも、何故この句が良いのか、理解できない方がいらっしゃるかと思います。
そこで「梅が咲き始めている庭が海の中のように青ずんで見えてきた」と解釈をつけると
どうでしょうか?
彼の想像どおり、青鮫たちが来ているように感じることが出来たでしょうか
この句の一番のポイントは『庭中に』です。
これが『庭に』であれば、一匹の青鮫が来ていると思う人がいるかも知れず、それだと
庭中が青ずむことと想像することが出来ないかも知れません。

俳句は、作り手と読み手が揃って成り立つもの。
作り手ばかりが輝いても意味がなく、読み手もそれと同等の感性が必要となります。
僕も、自分の感性、価値観を磨いて、俳句を作るだけでなく、読み手としてしっかりしたものにしなければならないと思います。

なので、彼の句に触れれるのはまだまだ先になりそうです。

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コメント

偏った見方ですが
どうにも中原氏の白魚の句は賛成できません。
進化ととらえるなら有りかもしれませんが
いのち、ととらえるなら共感できません。

金子氏の鮫は一読して共感できました。
そこにいのちの広がりと敷衍を感じられたからです。

俳句に個性は大事ですが
俳句をもって何を伝えるかは
ちっぽけな個人ではないと
私は思っています。

投稿: 海渡 | 2010年7月 6日 (火) 22時46分

俳句と言ってもいろんな句があります。
僕も苦手な句や意味不明の句が多いです。
全部を分かりきろうとすることは大変ですので、自分が楽しめる、癒される程度で、十分だと思います。

投稿: 楚良 | 2010年7月 9日 (金) 00時18分

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