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2010年6月

省く・・・中原道夫

<白魚のさかなたること略しけり>

彼の句をを認めるか認めないかはこの句につきると思います。eye
実際には省くことが出来ない成長過程を、彼は省くことが出来ると悟りました。
本の中でも書かれていることですが、この心境は俳句人生の賭けであります。
師匠能村登四郎も、この句には相当迷ったに違いないありません。

<瀧壺に瀧活けてある眺めかな>

この句についても、実際に有り得ない、彼自身の想像であります。
俳句と言うものは、作者の感性が大切です。flair
しかし、それを読み手が共感(納得)しないと意味がありません。
読み手が万人もいれば、いろんな感性、価値観があります。
万人に好まれる句は、果たしてどれくらいあるのでしょうか?

例えば、金子兜太先生の有名な句
<梅咲いて庭中に青鮫が来ている>
もちろん空想の世界であり、この句を良い句とする人がいます。

でも、何故この句が良いのか、理解できない方がいらっしゃるかと思います。
そこで「梅が咲き始めている庭が海の中のように青ずんで見えてきた」と解釈をつけると
どうでしょうか?
彼の想像どおり、青鮫たちが来ているように感じることが出来たでしょうかsign02
この句の一番のポイントは『庭中に』です。
これが『庭に』であれば、一匹の青鮫が来ていると思う人がいるかも知れず、それだと
庭中が青ずむことと想像することが出来ないかも知れません。

俳句は、作り手と読み手が揃って成り立つもの。
作り手ばかりが輝いても意味がなく、読み手もそれと同等の感性が必要となります。
僕も、自分の感性、価値観を磨いて、俳句を作るだけでなく、読み手としてしっかりしたものにしなければならないと思います。

なので、彼の句に触れれるのはまだまだ先になりそうです。cat

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エロス・・・櫂未知子

久々の「現代俳句の海図」シリーズです。note
ここから紹介するのは苦手とする俳人ばかりで、前回、田中裕明で括りにしようと思いましたが、去年末(2009年)に出版された『新撰21』でも、苦手意識が出てしまいました。
でも、今後の俳句を知るうえでも、このまま逃げてもどうしようもないので、講評です。cat
(短評、好ましくない評になるかも知れません。お許しを。。。coldsweats01

まずは、インパクトのある句thunder
 シャワー浴ぶくちびる汚れたる昼は
 セーターの中に貧しき丘がある
 ぎりぎりの裸でゐる時も貴族
 一人なら毛布を奪ふこともない
 佐渡ヶ島ほどに毛布を離しけり

知っての通り、当初は短歌を嗜んでおりましたが、先生の「あなたの歌は五七五で終わっている」と指摘されてからの転向です。
しかし、転向後、水を得た魚のように、彼女の句は気持ちの良いものとなりました。
聡明で斬新であると思いますが、これほどにインパクトに表現された方はいないかも知れません。
その場所、その時点の思いをストレートに言い表わしたのですから、女の情熱、エロスとは、男とは比較できず、僕はたじたじです。。。happy02
俳句とは、作り手と読み手があって、産み出されるものです。
作り手がいくら俳句として作ったとしても、読み手が共感しなくては俳句とはなりません。
(俳句でなければ、それは詩そのものです。)
彼女の句が発表され、いまも残っているということは、彼女に共感する読み手がいるということです。cat

同時期、上記の句以外に父を悼む句があります。
 無冠なる父へ瞬く春北斗
 眠るたび父は銀河に近づきぬ
 つややかな管つけ父は朧なり

自分の人生に俳句があり、俳句をすることで多く人と共感する。
若手の俳句に馴染まないのは、きっと俳句を通じて共感するところが少ないのではないかと思います。
ただ、綺麗な語彙やインパクトのあるものを並べても、読み手に伝わらなければ意味がありません。
多くの人と共感するためには、言葉、季語を知り、切れ字や型を信じ、いかにして自分の思いを捨て切れるかと思います。
古臭いかも知れませんが、自分の思いを伝えるだけの詩でなく、読み手にある思いを鼓舞できるような俳句が出来ればと思います。paper

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俳句について(その1・・・川柳)

休憩時間に句集と読んでいると、同年代の人に問われたので「俳句」と応えたら、「テレビの『ペケ×モン』sunね」と言われて、ちんぷんかんぷん・・・
早速、ネットで調べたら、人気芸人の番組で、その中に「ペケモン川柳」というコーナーがありました。
内容は、視聴者から投稿された川柳の一部を空白にして、回答者がそこに入るものを当てるものです。
企画自体面白そうですが、気になったのは、川柳と俳句の区別です。cat

何が言いたいのかと言うと、俳句で言う季語を空白にして、そこを季語でないものを入れたら、それは川柳になってしまうのか?
また、川柳の一部を季語に入れ替えたら、俳句になってしまうのか?・・です。

俳句や川柳をしていない人に取っては、句は一緒くたです。
また、辞書通りに定型、季語が俳句だと説明しても、それに反対する人たちもいますので、どのように説明して良いのか分かりません。
何、チンプンカンなことを言っているのangry??と思われる方がいらっしゃるかと思いますが、例えば、次に川柳と俳句を並べてみますけど、区別できますでしょうか?

てっぺんのうすい空気を奪い合う
アカシアの丘を下れば屠殺城
今日ママンが死んだ 迂回路をさがす
一行の詩が処刑台のやうに響く朝だ
我を待つ雲の黄金海岸か
見逃さじの渚の森の白き犬

上記3句が内田真理子さんという川柳の方で、下記3句が夏石番矢さんになります。
俳句は「一番短い詩」と言われておりますが、ただそれだけでは俳句とは言えないような気がします。
最近、ようやく『新興21』を読み始めましたが、季語の形骸化、切れ字、俗などが気になってしまいます。paper
(でも、これらが俳句として掲載されているのですから、認めるしかないのですが・・・)
句会や俳句大会などは、季語定型が主流ですが、実際、作り手からにしては縛りだけではないでしょうか?
でも、そのようなものがないと、俳句というものがないような気がします。

ここで、簡単に解決が出るようなものでもないし、ましてやいち素人(中年)俳人が決めることでもないし、このシリーズは、書くことがあれば記載します。

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現代詩手帖「ゼロ年代の俳句100選」

ネット上で「ゼロ年代の俳句100選」が話題となっております。
(幾つかのプログを貼り付けておきます。)

B.U.819(佐藤文香プログ)

http://819blog.blog92.fc2.com/blog-entry-548.html

俳句空間「豈(あに)」・・高山れおな

http://haiku-space-ani.blogspot.com/2010/06/weeky.html

週刊俳句・・上田信治

http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/05/6.html

「現代詩手帖」を読むことはないと思いますが、各俳句をたしなむ人たちがそれぞれに100選するのは面白いことであります。eye
しかし、気をつけないといけないのは、人間は今を生きているので、感性、価値観が自然と変わることです。
また、xx氏が選んだ100句全てが秀句だと鵜呑みにせず、秀句とは各個人の心にあることを忘れてはいけません。cat

その時には感じなかった句が、今になって感じることがある。

俳句の楽しみの一つして、その年代やその人の生き様でしか分らない句が多数あり、それを触れたときの感銘は、俳句をたしなんでいない人でも分かるかと思います。

人生の変化点として、結婚、出産・育児、退職(第二の人生)etcと、人によってさまざまであり、万人分の感性、価値観があります。shine

若手(僕より若い人)の俳句を読むと、斬新で自分では感じることのないものがあって、圧倒されます。
しかし、その俳句も触れた瞬間に、過去の遺物となってしまいます。
そこで、過去の遺物となった句を、また触れたときに、何かを感じる取ることができるかどうかです。heart02

僕の親しみやすい句は、過去の俳人たちが残した句です。
(この時点で、僕はもう古人ですね。。)
これらを一句ずつ咀嚼して、この句の素晴らしさを感じることです。cat
ネットで俳句を読むだけの人がいますが、その人の選の方が、ストンと心に落ちてきて、とても和みます。

伝統とは、過去のものを未来に伝えるものです。
俳人たちの作られた句に触れ、それを未来の俳人に引き渡す、僕らは橋渡しの役目だと
常々思います。

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蝿 二連チャン

5月28日毎日新聞『季語刻々』より

蝿とんでくるや箪笥の角よけて 京極杞陽

蝿は本当に目ざとく、いくら払っても近寄ってくる。
うるさいを漢字で書くと「五月蝿い」impact
これは旧暦に作られた当て字ですので、これからがシーズンとなります。
新暦に替えても、漢字までは直せなかったようで、
今に直せば、「七月蝿い」です。happy02
登録し直しましょう!!

続けて、これも5月29日『季語刻々』より

やれ打つな蝿が手をする足をする 小林一茶
打て打てと逃れて笑ふ蝿の声
よく逃げよにげよ打たれなそこの蝿

蚊 守宮 蟻 蜘蛛

解説で上記載は、『俗』(普段の生活)に含まれるそうです。
和歌には俗がなく、俳諧から俗も詠まれるようになったとか・・・
俳句が親しみやすいのは、普段の生活の中からでも楽しめるということです。
でも、エロスや私生活などは詠めないだろうなぁ・・・
どこまで自分を俗に落とすことができるか!!coldsweats01

何故か、『俗』というと櫂未知子さんを思い浮かべます。
最近は、落ち着いてしまったようですが、初期の俳句はびっくりします。
また、「新撰21」にもそのような傾向の作者もおります。
「現代俳句の海図」の感想も途中で終わっておりますし、「新撰21」も買っただ
けです。downwardright
苦手な分野となりますが、ピックアップしなくては・・・

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