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2010年5月

「バーコードの森」(豊里友行)・・・後半

俳句で大事なものは主題です。(主題:作り手が一番何を伝えたいのか)
季語や切れ字を使うことで、主題が増長され、読み手に共感する幅が増えます。
また五七五のリズム。
このリズムが、詩情を豊かにしております。
まさしくこれらが、伝統俳句というものではないかと思うのです。

これらをなくすして俳句を作ることは、大変難しいことです。
彼の句を読むと、じっとしていられなくなり、何度も彼が作る句をまねてみるのですが、思うように作れません。
多分、僕自身が俳句ボケしているからに違いありません。
それを知るのは、彼が所属している「海程」の金子兜太さんの句を並べてみるとはっきりします。

梅咲いて庭中に青鮫が来ている 兜太

鮫となり晩夏の月を刎ねる二十歳
夜のパンに鮫のかなしみをぬる
青バナナむけば炎の鮫になる

兜太さんの句は前衛俳句と言って、自分の思いを前面に出してくるタイプ。
彼も同様です。しかも、彼がこの句を作られたのは20歳前後、その頃の僕は何をしていたのか思い出せないです。。。
前衛俳句がこの世に出された時、、これらの句を倦厭することがありましたが、今は立派な俳句と確立されております。

(注意:今時点で、新興や前衛と区別するものはありません。作者以外の第三者が作り出したものであり、作者はそれを意識して俳句はしておりません。また、どこかで触れることが出来れば、記載します。)
しかし、次に挙げる句はどうでしょうか?

 飽食
     の児歪む地球パズル
 飢餓

ここまで来ると、俳句はどのようになっていくのでしょうか。
俳句は海外にも広がり、季語、五七五では収まらなくなってしまいました。
果たして僕らはどこまでを俳句として触れていくべきなのでしょうか?
また、僕らが作る俳句は本当に俳句と言えるものなのでしょうか?

彼は新鋭21のメンバーです。
今後、どのような俳句となっていくのか、またそれらについていけるのか。
伝統俳句を作る僕としても、切磋琢磨していく必要があります。

<感銘句>
原発の列島ネガの百足湧く
花蘂のバーコード揺れ地球の誤作動
十字架の交差点きのこ雲何処行くの
九条の首狙う太刀鯉のぼり
ITの傘裏触れる蜘蛛の巣の傍受
街じゅう花いちもんめの百円ショップ
島包む百合の悲鳴はプラスチック
アジアの牙か双葉の目の辺野古
月も太陽(ティダ)も魚鱗の響(とよ)み島暦
さみしさの本音がはらり玉葱剥ぐ
有事ぽろぽろ星の音譜消す
寝転んだ季語も馬糞も銀河の野
かみんぐわ
      洞窟(ガマ)が吐くあけもどろ
うみんぐわ

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「バーコードの森」(豊里友行)・・・前編

彼との出会いは、プログで書いた「句集は苦手」にコメントを頂いてからです。
句の場合、作者の手から離れると、読み手の良し悪しとなってしまいますが、句集の場合は作者が作ったパラレル・ワールドなので、句集全体で受け止めなくてはなりません。
既に、彼は句集を出されているので、早速入手しましたが、これがまた、僕が作るものとは異なるもので、何と受け止めれば良いのか分りませんでした。

 教室出る夢探しの入道雲
 しゅるるる葡萄に濡れる風の髪
 樹のラインに湧き立つ雲は十九歳

冒頭3句です。
先ず彼の句を読むと、特有のリズムと季語がないことに戸惑いを感じます。
この時点で、俳句を楽しむ前に、「有季定型」という固定観点で触れていることに気づきます。
以前、話したことがありますが、「俳句は完成され洗練された様式」ですが、その様式は作者自身が決めることです。
あとは読み手がそれをどのように受け取るかです。

「無季自由律」を作る人で、最初から「無季自由律」の人は皆無であると思います。
やはり「有季定型」から始めた人ばかりだと思いますし、今でも「有季定型」を作ることもできます。
何故、このような句を作るといえば、固定観点に縛られることで、自分の伝えたいことが失ってしまうからです。
実際、自分の思いを読み手に伝えるためには、季語は要りませんし、五七五に拘る必要がありません。
第一、わざわざ分語にしなくても、口語でストレートに相手に伝えるほうが適宜ではないでしょうか。
それなら、普通の詩と変わらないかと思いますが、「俳句は一番短い詩」ですので、余分なものを削って、いかに読み手に共感を得ることですので、やはり俳句と言うべきでないかと思います。

言い換えれば、季語や五七五に縋っている僕らが、俳句に拘っているのではないかと思います。
例えば、「や」・「けり」の切れ字は本当に必要なのでしょうか?
若し、自分の伝えたいことだけを句にするのであれば、これらは余分で、もっと短くすることが可能です。
また季語にしても、取り合わせや詩情を膨らませることであって、自分の思いとは異質なものになってしまいます。

<感銘句>
 教室出る夢探しの入道雲
 じゃんと語尾笑う母を忘れてら
 ひょこひょこと地球を揺する鳩の頭
 腐葉土にノイズ走らせ都会の釘
 バッタ飛ぶマグマのように羽ひろげ
 イ(にんべん)とはぐれバーコードの森に入る
 ユウウツノイシハラムジンベイザメ
 咳すると炎のような闇動く
 手のひらが牛蒡になるまで夢掴む
 幽愁のキリン歩く夕焼けのビル

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サラリーマン哀愁歌

先週、テレビを見ていたら、宮沢賢治のことをやっておりました。
彼も早死にしておりますが、晩年はサラリーマンだったとは知りませんでした。
有名な『グスコーブドリの伝記』も『雨ニモマケズ』もこの頃の作品と知ると、
我が身のことのようで、最後まで見てしまいました。
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/45.html

それにしても、最近のプログは愚痴、毒舌が多いなぁ・・・
このままでは、への字の頑固親父になってしまいます。
彼の生き方を学ばなくてはなりません。
先ずは、音読

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ 欲ハナク 決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラツテヰル

一日二玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ ジブンヲカンジヨウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ陰ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ 行ツテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクワヤソシヨウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボウトヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ

サウイウモノニ ワタシハ ナリタイ

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新・俳句王国

ようやく、録画していたもの最新放映分まで観ることが出来ました。
驚くことに、4月から司会が替わり、内容も一部変わってしまいました。。。
まだ慣れていないのかもしれませんが、視聴者の僕には頂けないところがあります。

一つ
司会者(塚原愛さん)が素人過ぎる。
久し振りのNHK正社員アナウンサーとのことですが、俳句のことを全く分らず、頓珍漢。
参加者と同じ立場で話されているので、番組自体のまとまりがない。
前任者 板倉卓人さんと神野紗希さんが知識があったので、主宰、参加者の暴走にフォローが出来て、番組として面白みがあった。
なお、NHK総合の「NHK俳句」石井かおるさんにいたっては、番組の前にゲストのことや
打ち合わせがしっかりされているので、番組が成り立っております。
まだ一ヶ月なので、何とも言えませんが新人 塚原愛さんの今後の活躍を期待しております。

もう一つ
新企画「ビギナーズ」は失敗だと思います。
ビギナーズをどのように定義しているのか理解出来ません。
どんなものでもそうですが、その人が「私はビギナーです」と言えば、経歴が10年、20年でもビギナーです。

月刊誌でも毎年繰り返される「ビギナーズコーナー」
多数が飽き飽きしているところに、TVでも同じことをしてどうするの!?
俳句の醍醐味は、何と言っても、素人、玄人関係なく行われる『句会』です。
ビギナーズラックがあったり、主宰の句がぼろぼろになったりすることが面白いのに・・・
これは、新司会者の教養のために行っているような。。。 思い過ぎかな・・・
ビギナーであれど、毎日俳句を読んだり、作ったりしていけば、自然と上達していくと思います。
出来れば、先生に指導受けるとか、俳句仲間と切磋琢磨していくベストです。
俳句はその先生(主宰)による、価値観、作句が異なるので、言っていること全てが正しいとは限りません。
いろんな俳句に触れ合い、自分に合ったものを取り入れていくべきです。
それを、いちいちTVに取り上げることでもないと思いますが、如何でしょうか?

まぁ、始まったばかりなので当面は静観ですね。
少し余裕が出てきたので、観るのを止めていた「NHK俳句」を復活して、楽しむことにします。

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