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2010年4月

ふらここ

4/3(土)の兼題は「ふらここ(ぶらんこ)」でした。
ふらここ(他に、鞦韆(しゅうせん)、半仙戯)が春の季語となったのは、金子兜太先生の仰ったとおり、古来中国の節句の名残から来ておりますが、季語として定着した理由があります。

春の季語で「野遊び」があります。
これは、温かくなった春の野原に行って遊ぶことです。
因みに、関連したので「xx摘」があります。
子供たちが、外に出て遊ぶ姿はとても微笑ましいものです。
この光景より、「遠足」「石鹸玉」「風船」そして「ふらここ」と、何故春の季語となっているのか不思議なものが、想像できるかと思います。

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伝統俳句=現代俳句 その3(定義)・・・完結篇

前回から間が空いてしまってすみません。。。
子供たちの卒業、入学にかち合い、仕事も立て込んでしまい、更新できませんでした。

家庭を持つと、家族行事を優先しなくてはならないし、一番の家族の生活を守らなくてはなりません。

自分が望んだ人生ですので、(娯楽の)俳句はこちらを全うしてからです・・・
前置きが長くなりましたが、ようやく完結篇です。

1961年に現代俳句から「有季定型」掲げて、中村草田男中心としたグループが「俳人協会」を設立しました。
創作性は自由であるが、自由律、無季句は認めないという考えです。
もともと、日本人のリズム感は五七五調です。
そのリズムに乗って、短歌や俳諧も詠われております。
要は、俳句は一番短い詩とは言いながら、そのリズムもない詩を俳句と呼べるかということです。
明治後半、河東碧梧桐が五七五調に捉われない新傾向俳句(自由律)を主張し全国展開を行いますが、高濱虚子らホトトギス派によって、伝統俳句は守られました。

しかし、今も自由律・無季句を作られる方はおりますし、種田山頭火や尾崎放哉が俳句をしない人にも知られており、愛されております。
これらを俳句と認めないとすれば、他なんと言えば良いかと言うことになります。

既に、俳句は全世界に広がっており、「世界で一番短い詩情」として好まれております。
無論、五七五調のリズムは出来ないし、季語を他の国や地域に適用することも出来ません。
ならば、「有季定型」は『作風』、『技法』のひとつとなってしまいます。

俳句の定義とは一体何なのでしょうか?
いろんな俳句に触れてみて、俳句とは「完成され洗練された様式」ではないかと思います。
創造性を重視して、それを是とするなら、俳句は形骸化され、様式の美しさがなくなってしまうのかと危惧してしまいます。
作り手、読み手の価値観が合致し、共鳴することが俳句の楽しみです。
一七文字に凝縮された「詩情」を、多くの人に読んでもらい、それぞれの想像、思いに
感銘できる句を作ることが出来れば、僕の俳句人生にこれ以上言うことはありません。

人生、限られた時間の中に、多くの人と俳句を通じて、触れ合うことが出来ることを生きがいとし、今後も俳句を楽しんでいきたいと思います。

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