伝統俳句=現代俳句 その1(伝統ってなあに?)
次の句集を紹介する前に、俳句の定義の勉強です。
(その方は「新撰21」のメンバーでもあります。)
僕は、俳句といったら俳句です。(当たり前ですけど・・・)
でも、俳句にはいろいろと定義をつけたがる人もいます。
伝統俳句、現代俳句、新興に前衛etc
でも、俳句を作るのにそんなことを気にしている方はいらっしゃるでしょうか?
山本健吉さんが「俳句とは何か」と問われたときに、
「俳句は滑稽なり、俳句は挨拶なり、俳句は即興なり」と答えております。
僕もその通りだと思います。
いろんなことを考えてしまえば、俳句はつまらなく、また廃れてしまうでしょう。
俳句は多くの人と楽しむものだと思います。
さて、伝統俳句と現代俳句の違いと言って、分かる方はどれくらいいるのでしょうか?
僕も名前だけで、気にしてもいなかったのですが、今年初の句会で「大正俳句」を勉強しなさいと言われ、更に???となったので、早速、調べてみました。
Wikipedia(ウィキペディア=ネット内の百科事典、読者が記事を記載したり編集したりできるウェブ)で、俳句は、「正岡子規が江戸末期の俳諧を月並俳諧と批判して近代化した文芸たらしめるための文学運動を行い、発句が俳句として自立した」と書かれております。
また、「俳句自立後の視点から、松尾芭蕉などの詠んだ発句をさかのぼって俳句とみなす見方もある」と書かれております。
なので、僕たちがよく知っている芭蕉の句は俳句ではないことになります。
では発句とは?となると、近世に発展した文芸である俳諧連歌の遊戯性、庶民性を高めた文芸が自立性の高いのが発句だそうです。
1894年(明治27年)、子規が『獺祭書屋俳話(だっさいしょおくはいわ』を連載し、俳句の革新運動を始めますので、俳句が全国に知れ渡ったのは今から約120年の比較的新しいものとなります。
では、伝統俳句は何のことをさすのでしょうか?
明治後半、虚子と双璧していた河東碧梧桐が、五七五調に捉われない新傾向俳句(自由律)を主張し全国展開を行います。
その当時、俳壇から引退をしていた虚子が、俳句は伝統的な五七五調で詠まれ、また季語を重んじ、平明で余韻があるべしと「守旧派」として碧梧桐と激しく対立します。
春風や闘志いだきて丘に立つ(大正2年)
そして、伝統的な俳句を守る「ホトトギス」は見事に復活し、それは次第に大きな勢力となり、大正時代と昭和戦前まで席捲します。
この頃のホトトギスといえば、渡辺水巴、村上鬼城、飯田蛇笏、原石鼎、前田普羅とそうそうたるメンバーです。
また、当時の俳句といえば、「ホトトギス」と言われるようになります。
なので、伝統俳句というのは、五七五調の定型で季語を重んじることになります。
また、僕が知りたかった「大正俳句」は、全盛極めた「ホトトギス」の句となります。
(一気に、二つクリアしました。)
もちろん、自由律や無季句をする人もおり、それを「俳句」と定義つける人もいます。
ここで、伝統俳句と現代俳句の溝が出来てしまいました。
さらにいえば、俳壇は「現代俳句」、「俳人協会」そして「日本伝統俳句協会」に分かれております。
なぜ、このようになったかは次回です。
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コメント
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投稿: Johnb197 | 2019年5月14日 (火) 20時42分