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2009年11月

「未踏」(高柳克弘) 前編

彼をはじめて知ったのは、僕が俳句を始めたばかり、初めて「NHK俳句」を見たときです。(2007年12月)

この番組のゲストで彼が出演されており、しかも地元出身で本(凛然たる青春)を上梓されたことを話されており、自分より一回り若い方が、俳句界の中でご活躍されていることに、とても嬉しく思いました。

そして、彼の句集がいつ出るのかと待っていたのは、僕だけではなかった筈です。

それだけ、彼の注目度はすごいものだと思います。

さて、句集ですが大きく三つに分かれます。

初期:俳句はじめたばかりで、いろんな俳人に接している時期。

中期:「俳句研究賞」を頂き、また「鷹」編集長となって、戸惑い時期。

後期、彼の句が定着された時期。

僕は初期と後期は、すんなりと入ってきたのですが、中期は難解が多かったです。

でもこの苦悩時期がないと、句集は成り立たないので、自選は相当難しかったと思います。

それから「句集」には、蝶の句が多いです。

 喋々のあそぶ只中蝶生る

 ゆびさきに蝶ゐしことのうすれけり

 春月や羽化のはじまる草の中

 鉄路越え揚羽のつばさ汚れけり

 蝶ふれしところよりわれくづるるか

 眉の上の蝶やしきりに何告ぐる

 蝶の昼読み了へし本死にゐたり

 路標なき林中蝶の生まれけり

 わがつけし欅の傷や蝶生る

 羽化の翅はばたかむとす草泉

 つまみたる夏蝶トランプの厚さ

 蟻運ぶ蝶の模様のかけらかな

 高速の素質ありけり黒揚羽

 揚羽追ふこころ揚羽と行つたきり 

最初の2年間(2003-2004)だけで、これだけあります。

この世に生きていながら、非現実の空想世界を求めているような気がしました。

さらに、青春を謳歌している句もあり、読み手それぞれの思いをかき立ててくれます。

 「木犀や同棲二年目の畳」

僕にはこんな青春がなかったら、作れない句です。いいなぁ

以前紹介した佐藤文香さん同様に、何かの賞を頂けるのではないかと思います。

期待されていた以上に、出来栄えの良い句集だと思います。

2004-2005感銘句

雨よりも人しづかなるさくらかな

ゆふざくら膝をくづしてくれぬひと

名曲に名作に夏痩せにけり

わが拳革命知らず雲の峯

空蝉(旧字)を握り潰せば紙の音

降る雪も本の活字も無音なり

如月や鳥籠昏きところなし

桜貝たくさん落ちてゐて要らず

花ふぶきつひの一片誰も知らず

揚羽追ふこころ揚羽と行ったきり

うみどりのみなましろなる帰省かな

木犀や同棲二年目の畳

(続く)

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柿四角ならばナイフを十文字

11/5(木)毎日新聞「季節のたより」より、作者正木ゆう子。

柿はいろんな種類がありますが、四角といえば「次郎柿」です。

地元も、その次郎柿最盛期

週末は、お世話になっている農家まで行って、「柿狩り」と「みかん狩り」をして来ます。

それにしても、ゆう子先生の句は的確に捉えておりますね。

確かに十字にナイフを入れます。

あと、僕は固い柿が好きですが、家族は熟柿派です。

既に、食卓の上に、数個の柿が熟されるのを待っております。

人妻に捧げるごとく柿熟れる 拙句

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新人・若手・中年

コメントを頂いて、ふと思ったことがあるので、「未踏」の感想(すると良いながらかなりの日数が経ってしましたが・・・)の前に書かさせて頂きます。

アスリートや体力が伴う世界とは違い、文学界の新人と言われると、それを始めた頃になるので、10代でも50代でも新人となります。

ましてや短歌や俳句などの詩情系は、年老いてからも出来るので扱いがややこしくなります。

さて、若手となると、何歳を指すのでしょうか?

極論(というか自分がその世代となるので)、中年層で分けるのが妥当かと思います。

中年は仕事や子育てに忙しく、自分のこと(趣味・娯楽)は後回しになってしまいます。

本職としていない限り、その世界でご活躍されている方は少ないかと思います。

何でこんなことを書いたかというと、そもそもその忙しい中で俳句を始め、プログなど始めたからです。

10、20代は自分の好きなことを思う存分に出来ます。

また50代を過ぎると子育てもひと段落し、自分の時間を取り戻すことが出来ます。

なので、俳句や自分の趣味を行うのには持って来いの世代なのです。

でも、50~60代の俳句ビギナーは、長年俳句している人たちと同等の価値観なので、句を作られても、軽く見られがちです。(切ないですね・・・)

しかし、若手の全く価値観が違う句を触れ合うと、刺激を受けてしまい、高評を得てしまいます。

若手はそれを糧に俳句にのめり込みますが、如何せん、中年という人生の転換期を迎えなくてはならないので、それを乗り越えて、俳句を続けられるかどうかです。

今のご時勢、俳句以上に楽しいものが溢れていて、わざわざ俳句の世界に飛び込んで来る人は稀です。

僕も、ここまでして俳句にのめり込むつもりはなく、家庭などの普段の生活を俳句にしたらどのようになるんだろうと思ったのが始まりです。

でも、ある人のプログで「若い時に俳句をした人が、『忙しい』の一言で、俳句から離れていって悲しい・・・」という文章を読んで、これはいかんなぁと思いました。

中年なら中年しかできない、中年の魅力を出さねばと、プログを始めました。

老年は人生の荒波に揉まれて、一つの人生観に達成しますので、ある意味、荘厳であり、重みがある句となります。

逆に若手の句は重みがない変わりに、熟達者には感じ取れない想像豊かな句が作ることが出来ます。

そして、中年と問われると・・・

忙しいのは当たり前です。

俳句やプログは大変ですけど、僕はそれを苦に思ったことはないです。

最初に出会った先生に「名句とは普段の生活の中から生まれる」と言われたことがあります。(俳句の縁とは程遠い、10年ほど前のお話です。)

最近、その意味が少し分かるようになりました。

毎日を有意義に過ごすことによって、当たり前のことに、感銘することがある。

それを五七五にしたものが、読み手も共感して、名句になるのではないか、と言うことです。

そのために毎日を忙しく、そしていろんなものを感じ取るアンテナをたくさん立てて過ごすことが、人生の楽しみではないかと思います。

いつかは読んで下さっている方に、感銘して頂ける句が出来るように、毎日をアグレッシブに過ごして生きたいと思います。

それでは

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