正木ゆう子(現代俳句の海図より)
彼女の魅力と言ったら、感性の鋭さかと思います。
この感性で、読み手の心を弄ぶとすれば、三橋鷹女先生でしょうか
ひるがほに電流かよひゐはせぬか
夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり
あたたかい雨ですえんま蟋蟀です
月見草はらりと宇宙うらがへる
この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉
また、五七五調でありながら、わざと調子をずらし、その句の不安定さを増長するのは、彼女の持ち味かも知れません。
サイネリア咲くかしら咲くかしら水をやる
いつの生か鯨でありし寂しかりし
乳房ふたつかかはりもなし冬霞
俯瞰かくもさびしく雁でありにけり
着膨れてなんだかめんどりの気分
もつときれいなはずの私と春の鴨
この本を読んでびっくりしたのは、「総合誌や俳壇という一つの漠然とした集まりをそういうふうに鏡として機能させていただいているかもしれない」と言う発言です。
以前の記事で、「俳句は読み手がいることで成り立つ」と書いたことがあります。
読み手に作句を読まれ、その句の価値がつきます。
跳ね返りがあって、俳句は成り立つこということです。
また、その評価を受け入れて、俳句レベル向上に繋がります。
通常なら、それを「句会」や「結社(主宰)」などの、近い鏡を使うのですが、、彼女はそれを行わず、あえて遠い鏡を使っている。
彼女のようなことをしていると、読み手からの反応は早くても数ヶ月先、若しくは反応がないかも知れません。
そうなると、俳句というものは自分自身の戦いとなってしまいます。
それを補っているのは、やはり自分の感性を大事にしていることだと思います。
自分ごとですが、新しい句会で投句したら、こてんぱんにやられたことがあります。
それは、今までの俳句を否定されてようなものです。
そのような不安なものを抱えても、自分の道を貫く彼女に、読み手は更に魅力を感じるのではないでしょうか
<感銘句>
万緑の森の入る目をガラスにして
立ちすくむほどのあをぞら冬鷗
かの鷹に風と名づけて飼ひ殺す
着膨れてなんだかめんどりの気分
ライオンは寝てゐるわれは氷菓嘗む
泳ぎたしからだを檻とおもふとき
月のまわり真空にして月見草
春の月水の音して上りけり
水の地球すこしはなれて春の月
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コメント
正木ゆう子さんはあれだけ活躍されておりながら、
何故か今も結社を主宰されておられないし、
同人結社の会員になっている他は
どこの結社にも所属されていませんよね。
きっと俳壇全体からの反応を感じながら、
フリーな立場で作句活動を続けたいとお考えなのでしょう。
でも、
勿論はじめからそうであったということではなくて、
ここまでの実力を蓄えるに至るまでの長い期間を
能村登四郎さんの許、たくさんの有力俳人の中で切磋琢磨して揉まれながら精進を重ね、
その中から抜きんでてこられたのだと思います。
結社の在り方も今までとは変わってゆくことでしょうが、
有力俳人を排出する機能という点では、
結社に代わるものは
今の段階ではまだ模索中ということでしょうか。
投稿: まもん | 2009年8月 7日 (金) 09時15分
コメント有難う御座います。
結社内だけの活動はとても怖い気がします。
何故なら、井の中の蛙状態になってしまうからです。
筑紫磐井さんが、確か週俳のコメントで「早くから俳句を始めても上達しない人がいる。それは、結社内から抜け出せないから・・・」とおっしゃっていたことがあります。
それでも良しとしている同人の方々は、それまでして彼女のことを慕っていると言うことでしょうか?
彼女自身だけでなく、同人の方々を背中にしょっている彼女の芯の強さは、すごいものだと思います。
結社の存在については、主宰の意地でもあります。
その判断は、俳句に携わる人全員がそれぞれに良しとして、見つけるしかないと思います。
投稿: 楚良 | 2009年8月 7日 (金) 23時41分
いやー驚きました。
正木ゆう子さんを調べようとしたら、一発で熊男さんに出会ってしまいました!
つくづく熊さんとは嗜好が似ているのですね。
職場のPCからご挨拶でした。
毎日の猛暑で都会のネズミはバテバテです…
投稿: 千葉の飲み友達 | 2012年8月 2日 (木) 11時09分