この記事は、最後に持ってくる予定でしたが、途中、執筆が止まってしまい、季節柄、先に書かせて頂きます。
僕が住んでいる浜松には、「遠州大念仏」と謂われる盂蘭盆の行事があります。
毎年7月(新暦13~15日)のお盆の夜に、初盆の家を回って太鼓や鐘などに合わせて、念仏踊りを披露するもので、1軒につき約1時間、初盆の多いところでは明け方まで続きます。
また、静岡県の無形文化財にも指定されております。
古くは、三方ヶ原の戦いおよび犀ヶ崖の戦いで犠牲となった人を弔うために始まったとされており、400年以上の続いているものです。
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/enjoy/culture_art/saigagake/s-dainenbutu.html
残念なことに、この「大念仏」ですが、季語となっておりません。
以前ですが、句会で投句された方がおり、主宰が「季語となっていないから」と没句にされたことがあります。
また、ベテランの方も「季語」となっていないを知っているので、作句されておりません。
でも、ずっと続いている伝統行事を、季語となっていないのは不自然だと思います。
なので、どうすれば良いかと言えば、季語としてしまえば良いのです。
えっ、そんな勝手に季語にしてしまって良いの?? と、思われる方もいらっしゃるかと思いますが、実際にそんな難しいことではないです。
時代は常に変化し、季語も新たに作られております。
例えば、「昭和の日」。
これは、4月29日、みどりの日が5月4日に移行して、新しく祝日となりました。
既に季語として作られ、認知されております。
あと、イベントととして「xxの日」としてありますが、これを作り手それを季語として作り、読み手がそれを認知すれば、良いのです。
(こう考えると、季語はかなり曖昧なものとなってしまいますね。)
なので、行事として続いている「大念仏」についても、季語として認めてしまえば良いことになります。
では、これを季語にするために、どうすれば良いのかですが、ここでようやく結社の出番です。
先ほど、書いたように、個人では認められません。
でも、これを結社で行えばどうなるでしょう!!
郷土(地方)歳時記として認め、ゆくゆくは全国でも認められれば良いのです。
また、そんなことは出来るの?? という声が聞こえてきそうですが、実は郷土の行事などは、このようにして確立されているんですよね。
京都の「大文字」、富山の「おわら風の盆」など、考えてみて下さい。
その地方特有の行事であって、これを季語として認められているのは、おかしいと思わないでしょうか。
しかし、季語として認められているのは、その地方の方々が、全国の俳人(読み手)に郷土行事を伝えたからに、他ありません。
それから、郷土行事を季語とすることが出来るのは、やはりその地方の結社です。
なぜなら、全国区の結社だと、地方の行事をわざわざ取り上げることはないし、投句しても(季語として認められていない限り)没句になってしまうでしょう。
以前のプログで、結社は数十社になると書いたことがあります。
地方の結社が、全国区の大結社と同じようなことをやっていても、主宰の力がなければ、賛同者は離れて、衰退していくだけです。
存続をしていくには、結社独自のならではのことを行い、賛同者の心を捉えることが必要となります。
それは地方でありながら、都会や違う地域の俳人たちの賛同を得て、逆に大きくなることがあるかも知れません。
結社は、小さくても大きくても賛同者がいれば、残っていきます。
でも、それは主宰や著名な方がいる結社であって、彼らがいなくなれば、結社も当然のことながらなくなることを意味します。
僕は言いたいのは、結社を次世代に残していくためには、です。
では、それをどのようにするかは、次回のコメントで
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