« 絶滅寸前の季語・・・運動会 | トップページ | 結社の今後(予告) »

石田郷子(現代俳句の海図より)

 ふたたび見ず柩の上の冬の蜂

 悪女たらむ氷ことごとく割り歩む

 柿食ふや不精たのしき女の日

 廃校の母校の桜吹雪かな

 苗代の一寸二寸人老いぬ

上記の5句は恩師山田みづえ先生の句です。

鑑賞句を比べて貰えばお分かりの通り、師の俳句と変わらず、正確で上品さが伝わってきます。

しかし、先生が主宰を勤めた「木語」を解散して、新たに「椋」を作りました。

どうしてでしょうか?

考えられるのは2つあり、一つは恩師の結社解散の意思。

もう一つは、彼女の俳句への新たな決意です。

結社を引き継ぐということは、並大抵のことでは出来ません。

何故なら、前任者たち築き上げてきたものを全てを背負い、さらに時代にあった良いものにして、次の世代に引き継がなくてはならないからです。

「伝統」

すごい重圧があるのに、さらに他の人たちを引きつけるカリスマ的な要素が主宰になければなりません。

彼女が恩師の結社を断ち切り、自分の結社を立ち上げたことには、ただ恩師の意思を引き継ぐのでなく、自分の俳句道の熱意(意気込み)があったからに違いありません。

僕は、「現代俳句の海図」で彼女を知りましたが、分かりやすく、しかも軽舟先生が述べている通り、正確な言葉でどの句もすんなりと受け止めれました。

でも、これはとても難しいことです。

なぜなら、ごくありふれた言葉の句は、同じようなものが出来やすく、他人の句に紛れ込んでしまう可能性があるからです。

なので、彼女が作句する苦労が、ひとつひとつの句に分かるような気がします。

予感。

そんな近くない頃に、僕はこの人の句にもっと触れているような気がします。

結社に入るとではなく、もっと触れていたい気がするからです。

<感銘句>

春浅し父の叱言を聞きにゆく

来ることの嬉しき燕きたりけり

涼風の黙つてゐればつのり来る

眠るとき銀河がみえてゐると思ふ

虫の闇だまつて通る虫のあり

びしょ濡れの狐出てくる蕗畑

木の実落つ誰かがゐてもゐなくても

さへづりのだんだん吾を容れにけり

ことごとくやさしくなりて枯れにけり

話したきことがたくさん桃の花

音ひとつ立ててをりたる泉かな

教会のやうな冬日を歩みをり

ゆつくりと近づいてくる冬の水

|

« 絶滅寸前の季語・・・運動会 | トップページ | 結社の今後(予告) »

現代俳句の海図」カテゴリの記事

コメント

なんとなく この人と
感覚が似ているような気がします^^

空気のように 入ってくるから

結社は 仰る通りかもしれない
けれど
いつか 居なくなったり
そこに まだ 居つづけるのは
たぶん ひとりひとり
ココロに秘めた理由が
あるような気がしますね

投稿: 吟遊詩人 | 2009年6月22日 (月) 14時30分

吟遊詩人さま

確かに吟遊詩人さまも一つ一つの言葉選びが丁寧ですよね。
なので、いつもお邪魔するときは、全ての言葉を受け取れるように、心穏やかにしております。

結社は心の拠り所でなければいけないと思います。
そう、例えば吟遊詩人さまのHPみたいにですね。
また癒されに行かせて頂きます。

投稿: 楚良 | 2009年6月22日 (月) 21時20分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 石田郷子(現代俳句の海図より):

« 絶滅寸前の季語・・・運動会 | トップページ | 結社の今後(予告) »