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生活俳句

前回の続きです。

作り手がいくら読み手と共鳴しようとしても出来ないことがあります。

それは人生経験です。

家族のことや海外のことを俳句にしても、読み手の記憶がなければ、共鳴は出来ません。

なので、句会や投稿する場合は、読み手(選者)がどんな人なのか、わきまえなくてはなりません。

中村草田男先生は、人の内面心理を詠むことを追求し人間探求派と称せられております。

僕が思うのは、いま自分が生きている中で触れた「驚き」や「新しいこと」を俳句にしたのではないかと思います。

また戦時中に、『伝統俳句に対して「季題趣味」だと批判し、新興俳句に対しては「季題軽視」だと論難した』と言っております。

それは、俳句するにあたっては、今の自分(生活)が土台にないと出来ないということ。 →→空想だけでの俳句はしてはいけないと解釈しました。

山頭火先生や放哉先生が、今も好かれているのは、自分たちと変わらない目線=生活から句を作っているからだと思います。

読み手の記憶、思い出だけなく、誰にでも持っている価値観でも、俳句は成り立つということです。

その昔、家庭、家族の句などを切り開いた草田男先生や、自分から湧き上がる感情をそのまま詠った田中裕明先生など、普段の生活の中から作り出した俳人、俳句は数多くあります。

多くの句が分からないことがありますが、それは自分の力がないのではなく、記憶、価値観がないだけです。

多くのことを触れて感じることで、自分を高め、俳句を感じること。

恋、結婚そして子育てで出来る俳句、また新しい感覚の若手俳句。

分からなくてもお互いに価値観を高め、共鳴し、また新しい俳句が触れることが出来ると思います。

僕もまだまだ初心者ですが、たくさんの俳句に触れ、いろんな人の考えを学び、自分の俳句を楽しんで行きたいと思います。

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