キエフの大門 その1
1
得意先の課長が、体調を崩したと言われ、午後の商談が空いてしまった。
受付の女性は、伝言を言うと、速やかに鳴り出した電話を取った。
これ以上ここにいることはないし、この商談も既にサインを貰うだけなので、問題ない。
会社には直帰の連絡をしている。
外は梅日和、僕はそのままビルの外に出た。
そういえば、来る途中、小さな画廊があったなぁ。
気になる「門の絵」。横には塔があって3つの鐘・・・
ゆっくり、来た道を確認しながら、その画廊へと足を向けた。
2
「こんにちは」
ドアの鈴がなると、上品な初老の女性が声を掛けてきた。
他には誰もいない。
しどろもどろに、ドアを開けたまま、立ちすくんでいると、
「見るだけも結構ですよ。どうぞお入りになって下さい」
笑った口元に、可愛らしい笑窪をつけて、僕を招き入れてくれた。
「初めて見える方ですね。どのような御用事で」
「先ほど、通った際に気になる絵があったので・・・」
「そうなの、どの絵なのかしら」
辺りを見渡したが、それらしい絵はなかった。
「20分ほど前のことです。丸い門に、横に塔が立っていて、そうそう3つの鐘がありました」
彼女は首を傾げながら、自分の過去を思い出そうとした。
「可笑しいわね。絵は動かしていないし、ええと、何をやっていたかしら・・・」
一つ一つ動作を真似て、僕はとても申し訳なくなった。
「もういいですよ。本当に暇つぶしに寄って見ただけですので」
僕はドアを開けようとしたときに、
「あぁ、思い出した。これよこれよ」
と、画廊の奥に行って、一枚の絵を持って来た。
「キエフの大門」
彼女はその絵を僕に渡した。
しかし、それは絵ではなく、最近見ることがなくなったLPレコードだった。
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